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香煎婆さん

4月20日駅前「香煎塚」通称「香煎婆さん」の祠、喉のお守りとして親しまれています祠ですが屋根の痛みが進むところ、地元の方や観光客の方の浄財(お賽銭)と新田区補助で葺き替えが始まりました。 香煎塚の祠 中には建築時、修復時の寄進者のお名前が書かれています、古いお名前の板は取りまとめをして下さっている大川電気さんが木箱を作り中に収めて保存、内部も伊豆石が見えるように、新田区・西田板金さんのお取り計らいで葺き替え進行しています。

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お吉祭り

3月27日お吉祭り 下田市三丁目「安直楼」公開 折からのお吉の涙雨で足許の悪い中では有りましたが賑わいました。 安直楼の中に有る掛け軸、おやおや?どこかで見た字体?そのはずです「表の暖簾」 風情のある建物です 今にも熱燗を持ってお吉さんが「いらっしゃい!」ですねえ。

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松崎町・道の駅 三聖苑

隙間時間を作って 松崎の道の駅 三聖苑で教わってきました。 明治初頭 北海道・帯広開拓をされた 依田勉三氏 銅像は 歌手の中島みゆきさんのおじいさんが寄贈さ\れたとの事。  苦難のなかで暖かい松崎から北海道に渡り 御苦心された 先人の努力を思い 胸が熱くなりました。 伺えば共に北海道に 渡った方々 南伊豆町の市ノ瀬・加納・小野地区の方、伊豆の南は 行政区をまたいで 一つだったのですねえ。  ここではWIFI の看板が目につきました。どこでもネットで繋がる 一歩手前まで来ました。 勉強が必要だなあと感じた次第。

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下岡蓮杖 (日本で第一号の下田出身の商業写真家)

展覧会のご案内が新聞に載り 併せて 下田の方からフェイスブックでご案内が有り 驚き!! 静岡の県立美術館に来たら行こう と決めた次第 下田公園には蓮杖の像もあります  下田小学校の校歌には 愛のマサナガ 技のレンジョー とあります なにせ同校の校歌は 米使ペリーの来港に・・からはじまります。 愛のマサナガとは江戸初期 当地を治めた三河藩士今村伝四郎  この人が下田に祭りを起こし その太鼓・笛・三味線のいまなお続く音曲は 徳川勢が大阪城入場の際の曲との事 よって節回しなど伝えるのに厳しい厳しい 伝統って そうなんですよね。

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お吉祭り(唐人お吉)

一時は下田には芸者さんが2百人を超えるほど居られたとか、今はその面影は伊豆石作りの格子戸の商家に残すだけとなっています、でも弥次川沿いの街並みの風情は絶景、残念なことにお吉がやっていた安直楼は普段締切状態でありましたがこの日は臨時開店、以降どうお見せ出来るか検討に入っているようです。ここにも期待の一つが開こうとしています。 関係者の努力ご尽力祈ります。

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石廊崎の絶景

いよいよ石廊崎の再構築が開始される どうなる姿が宜しいか  その前に 不要構築物を解体して撤去 次に道路を作り それから下刈り、伐採  国立公園法や文化財保護法 関連縛りがあってなかなか難しいとはいうものの ① 以前の姿に戻す ②景観を良くする これにはケチのつけようが無い そこで古い絵葉書を元参考資料にとネットオークションで入手する 驚くなかれ昭和32年の現地絵葉書をゲットすることが出来た(今から約60年前)

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避難路・里山作業路・ハイキングコースの3拍子

多目的道路 再構築の研究と行動 須崎地区で 時に思う「北条水軍の南端出城 下田・鵜島城」はなぜ50日間籠城できたか? 600人の軍勢で1万余の豊臣水軍を前にたじろがず、これをあっぱれと言わずに 居られようか。   古道の連携は下田からは大賀茂経由南伊豆 須崎経由河津など 連なる山々は 皆連携。永年伊豆歩倶楽部の事務局長をされた大賀茂区長笹本さんは古道の大家 はたまた須崎では土屋区長はじめ皆さんが赤線を拡幅して3拍子揃った道路作りを 具体的に検討開始した。  おそらく賀茂地域はモデル地域になると思うが 地形に合致した防災・農林水産・ 観光事業も地元発信から これが始まりました。  縦割り行政がどこまで柔軟に機能するか、機能してもらえるか真価が問われます。 話を聞いていると「魚付き林」は1日じゃ出来ない、今まで松で出来ていたが枯れてきた、 今桜を植えている、育って使えるまでには何年もかかる、地域でやってる。 山裾ばかりでなく中腹に「路が出来れば開発可能、家建てるよ、広場もできるよ。」 現場を見ずに判らずに話と図面だけの役所、地域で細々やってる。  第4次地震津波想定には地域総力あげて お金をかけずに周りに誇れる安全安心が 出来そうです。

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古道再構築と防災避難路

古道再構築と防災避難路 大賀茂区長笹本さんに「古道」のお話を伺いました 「伊豆歩倶楽部」の事務局長を長い事務めて居られた笹本さんは 根っからのハイキング好きで古道探索を大勢のお仲間の方と続けられています。 そんな笹本さんの思いは「古道を復活させて防災避難路に、ハイキングコースに、 里山保全に。」賀茂地域は海と山と里、自然豊かなところでありこの度の南海トラフ 大地震の想定におびえるでなく、温故知新。昔の人に教わる事が大事です。 古道は崩れやすい場所にはありません、なおかつあちらからこちらへ思いもかけず 早く行けますし、どこにもつながっています。と  そう言えば下田城は豊臣の1万を超える水軍に囲まれ、僅か600の兵で守り 60日間も落城しなかった事を考えると、峰を裾をつながった古道で持ちこたえたか? と感心して、一石三鳥でも一石四鳥でもある「古道再構築」の話しで盛り上がりました。 どうにか国や県の防災予算が有効に使えればありがたい。

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