山崎邸の夜桜
「北湯が野」という所は下田でも秘境 いつもお邪魔した帰りは鹿の家族とすれ違う。 (もっとも鹿と出会うのは天城の国道でも同じことだが) 海のものから山のもの 豊かというより 贅沢三昧 当地での水産関係者 ブルさんが何せ マグロ屋さんのため お寿司は食べるのも 勿体ない状態。 夜桜眺めながら 議論百出 賑やか賑やか でした。
Read More3月31日付けで静岡県ではICT戦略4か年計画を発表しました 発表内容は 自立 まず計画をしっかり立てよう さすれば県は人も出す 金も出す 伊豆の南 賀茂地域は 置いてけぼりになる危険もある 3月28日付けで26年4月施行の「地区防災計画ガイドライン公表」 地域防災力の向上と地域コミュニテイの活性化 提案手続きと内容について やみくもに下田33mの津波想定を数字発表した内閣府中央防災会議より 地元行政&地域住民が防災計画 地元が一番わかる。意見交換して 充実させて進行すれば予算出す 両方ともに 無口だったら どうなる? 先々月も四国でJOIN/TV(徳島・美波町)研修兼ねて高知県四万十町catvまで 出掛けての帰り道、高知・四万十町からずっと高速道路がつながっている。 今やその高速が伊豆天城北までつながっていて大変便利、ところが天城峠を 越えて下田に来るまでの道は国道414くねくね一本。 無口の結果か? 絶対人口も少ないゆえ 遠慮気味にもなるが 情報インフラと 防災は 地域にとって待ったなし 殊に同軸ケーブルで細々テレビだけ送っている弊社は 情報インフラの片棒担ぐには一人では荷が重い、しかし目を背ける権利はない 真正面から研究して 最善を尽くす義務が有る。 辛い正念場です。
Read More3月中旬締切で調査確認依頼が来た もちろん私は提出したが 「まてよ?」であった。 私のところケーブルテレビ屋 「テレビ映んない!」の中に アナログボタン押した、要らぬボタンを押してしまう、それも知らずして。 今までなかったB-CASカード 埃のたまりから宙ぶらりんまで、で映んない。今までなかったものだから話しても「ないよ。」の一言 残念ながらお一人住まいの場合解決不能、終局訪問面談。でもこれが一番正確。こんどの目的 健常者のみ答え来たら 目的なんだったの?にはなんないかなあ??? 世話でも大変でも 目標明確にして 徹底してもらいたい。 4月になったら本件落ち着いて確認する予定。
Read More毎日がデジタル進化の日々でしびれています。ふと気が付くとスマホの充電 充電器をパソコンにつないで充電したかと思えば、自動車のライターのところ? とんでもない、今は受け皿用意する(器具を買う)とつながなくても充電可能。 今私は5メガの画像を圧縮して三桁KBにしてmail送信からフェイスブック他 自由自在、孫はニュージーランドから絵も字も送信、挙句タダと言うので驚きの 倍返し。 じゃ 線を敷いてテレビを映して お金をもらって。 ちょっと違う 線もいらない、自由に見てね、お金もいらない。 これが本当かも 当分 行きつ戻りつ 関係者に教えを乞い 未だ光ケーブルも下田の一部と言う 情報仕組過疎地域で 最善尽くすのみ。
Read More西伊豆町宇久須の三共食堂 いつに変わらぬ「小あじ寿司」 上に載った ねぎとショウガを醤油につけて食べる 変わった食べ方の 一口寿司 何と言っても 旨い の一言。 老舗の良さだねえ
Read More連盟本部での打ち合わせより気になる 隣の八百屋さん そのはず 伊豆半島南 賀茂地域では 遠いとか 合わないとか 理由が先に立って 素晴らしい 素敵な各種産物が殆ど自給自足 高くては売れないとか まず理由が先に立つ これを払しょくするのには コミニュケーション 広報 そう思い パチリパチリ 今 この賀茂地域でも 空気は変わってきました 先日地域おこし協力隊の隊員を南伊豆の梅本町長は2名募集したところ 二桁応募者、全員採用したいが予算の都合もあり、早く全員採用できる町に したいと言っていました。 来たい町、住みたい町、売り物あります。
Read More下田では 富士山のお姉さん伝説の「下田富士」があります。 「下田富士のお話し」 下田富士は本郷にあるので、本郷富士とも、また全山一岩で出来ているので一岩山(いちがんざん)とも言われます。 山の祭神・駿河の富士(木花咲邪姫命・このはなさくやひめ)は次女、下田富士(磐長姫命・いわながひめ)は長女で、三女が八丈島の八丈富士(佐伎多摩畔命・さきたまひめ)という三姉妹でした。 秀麗玉のごとき次女は邇邇藝の命(ににぎのみこと・天照大神の孫)に嫁ぎ、長女下田富士は自分の醜さに恥じらい、駿河の富士山が雲間から姉を心配して覗くたびに、米一粒づつ低くなられ、とうとう今の181mの高さとなってしまった。 妹の心配をよそに、下田富士はどうしても見られまいと「屏風として天城山を立てた。」 駿河の富士は朝に晩に下田富士の姉さんは「どうして居られるか」と案じながら、少しでも見たい見たいと背伸びして今の高さに。 こうした二人の姉さんたちの様子を末娘の八丈富士は、遠い遥かな海上から「どうか御姉さんたちが仲良くなりますように」 と祈り続けたと言われています。 いまでも下田富士に登って駿河の富士の話をすると、一岩山の下田富士、石が泣くといわれます。
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