多目的道路 再構築の研究と行動 須崎地区で
時に思う「北条水軍の南端出城 下田・鵜島城」はなぜ50日間籠城できたか?
600人の軍勢で1万余の豊臣水軍を前にたじろがず、これをあっぱれと言わずに
居られようか。
古道の連携は下田からは大賀茂経由南伊豆 須崎経由河津など 連なる山々は
皆連携。永年伊豆歩倶楽部の事務局長をされた大賀茂区長笹本さんは古道の大家
はたまた須崎では土屋区長はじめ皆さんが赤線を拡幅して3拍子揃った道路作りを
具体的に検討開始した。
おそらく賀茂地域はモデル地域になると思うが 地形に合致した防災・農林水産・
観光事業も地元発信から これが始まりました。
縦割り行政がどこまで柔軟に機能するか、機能してもらえるか真価が問われます。
話を聞いていると「魚付き林」は1日じゃ出来ない、今まで松で出来ていたが枯れてきた、
今桜を植えている、育って使えるまでには何年もかかる、地域でやってる。
山裾ばかりでなく中腹に「路が出来れば開発可能、家建てるよ、広場もできるよ。」
現場を見ずに判らずに話と図面だけの役所、地域で細々やってる。
第4次地震津波想定には地域総力あげて お金をかけずに周りに誇れる安全安心が
出来そうです。