3年の間、コロナウイルス感染予防のため中止となった黒船祭が行われます、
黒船祭は
昭和 9 年(1934)以降、昭和 16 年(1941)から昭和 21 年(1946)の日米関係の悪化により開催を中止した以外は、半世紀を超えて 開催されている。と文献にあります。
そこには、雑誌『黒船:第 10 巻第 12 号(昭和8年(1933))』に、黒船祭の原案が「日本 国運の進展を祝福し併せて遊覧者の祖国日本の回顧に資せんとする」ことを 目的として提示された。これをもとに、昭和9年(1934)に、下田町民によ って第1回黒船祭が開催され、米国大使グルー夫妻を迎えての式典や多くの 行事などが行われた。 下田八幡神社例大祭が、江戸時代の下田町民を活気づけるために生まれた ものであるならば、黒船祭は、昭和時代の下田町民を活気づけるものとして 生まれたものである。米海軍等とともに行う黒船祭は、様々な行事を通じて地域 レベルでの日米交流を成す祭事として、地域に浸透している。とも記載されておりました。
コロナは過去にない災害であったことの認識と、さあこれからのはじまり、そのような中で祭典の楽しみ「開国市」に駅前・香煎通りを東京原宿のような若者通りにしようじゃ(高校生発案)と賀茂地域4つの高校生有志により7つのチームがテントを出して販売します。実はこの企画は生徒たちが何を売るか?仕入れはどうする?どう作る?いくらで売るか?の準備から、損はしないか?までの計画実行、その上で反省は決算まで。詰めてこられています。 飲み物食べ物・お土産にならないか?多彩な検討する中で地元企業との協同製作から大勢の協賛事業所のご支援で纏まったものを見ますと松崎・さくら葉、下田・クレソン、稲取・郷土料理へらへら餅、下田分校・植物工場の葉物野菜 全部が地元色100% 彼ら彼女らは口だけでなく大人より余程地元密着をお持ちです。そしてここまでのご指導は何より学校の先生方のお力だと強く感じて5月を迎えます。どうか皆様、祭りの高校生お楽しみに(部活動や他校外活動で当日参加できない生徒さんの分まで頑張る生徒さんたちに熱いエールを!)。
5月1日 渡辺良平