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下田5月は黒船祭 6月アジサイ祭

3月31日に下田駅前事務所の表・朝の温度8.5℃だった 寒かったなあと思いきや
本紙作成中の4月21日 温度25℃以上 冬から夏かなあ

人間の体にも他の生き物の体にも問題かなと気になります
気になる気候下田は当地旧町内、いつも飛び交う「つばめ」の姿が激減、聞けばツバメは人の往来が多いところに巣を作るとも言います、どうか賑やかさを取り戻す努力を
しながら元気な市民の行き交う町を取り戻そうじゃありませんか。

遠くアメリカと中国では関税戦争 ロシアとウクライナの戦争は終わらない

でも穏やかな話・・・ 桜 ベルリンの壁崩壊後 壁の後に、9,000本の桜を日本から 寄贈を継続、そこには小林一茶の句碑がある「花の陰あかの他人はなかりけり。」、テレビ朝日さんの現地駐在員さんの提案から始まったと聞きます。また間接的に壁崩壊の引き金になったと言われる秋田県大曲の花火大会とは、昭和62年ドイツがまだ東西に分かれていた頃のこと。ベルリン市制750年祭典のフィナーレを大曲の花火が飾ることになり、
代表者佐藤さんは記者会見で、「ベルリンの地上には壁がありますが、ベルリンの空に壁はありません。どうぞ、西のお方も東のお方も、楽しんでください」と語られたそうです。翌日、ドイツの新聞は「ベルリンの空に、壁はない」というタイトルが一面を飾り、それから2年後、ベルリンの壁は取り払われ、空と同じように一つにつながりました。
とのことです佐藤さんは永く日本の花火、殊に創作花火にも工夫を凝らし大曲の花火を世界的にされた方と聞きます。素晴らしい日本の精神文化ですね。

もう一つ続けますと「ウクライナでは今、日本のメーカーによる地雷除去機械が大活躍をしています。」兵器ではなく、戦後処理機械、地雷除去の取り組み に大きな力を発揮している訳ですが、開発者は日建 (旧・山梨日立建機)の雨宮さん。平成6年商用のため訪れたカンボジアの首都プノンペンで地雷の被害に遭った人々の惨状を目の当たりにし、地雷を地上から無くするために、技術屋の自分は「地雷を取り除く機械を作って、犠牲者を一人でも減らそう」と思った。これが地雷除去機開発のきっかけとなった。という事です(因みに世界中に埋設されている地雷の正確な数は不明ですが、およそ7千万個、あるいは1億個以上とも言われています。地雷は、戦争や内戦が終結した後も一般市民に危険をもたらし、年間1万5,000人以上の死傷者を出しているそうです)。今は皆さんご存じの「コマツ(㈱小松製作所」も地雷除去機製造をされていて、カンボジアはじめ世界各地で地雷除去と同時に土地を耕すことが可能な対人地雷除去機によって、農民は自立の道を歩み始めて行くことができる、また子供たちはじめ皆が安心して生活できる平和貢献、
素晴らしい国、日本です。さあ私たちも町を元気に頑張ろうです。

5月1日 渡辺良平